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インターナショナルディスクリクト 

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ルート インターナショナル・ディストリクトの北西端にあるユニオン・ステーションから歩き始め、地域内にある歴史的建造物やミュージアムを見学し、最後は北東端にあるリトル・サイゴンも探検します。
>> 地図をダウンロードする(1.54MB)
※Adobe Actobat Reader が必要です。無料ダウンロードは Adobe 公式サイトで。
所要時間 約3時間
アクセス
行き: メトロトンネル「International District」駅下車、階段を上がってSouth Jackson Street と 4th Avenue South の交差点に出ます。
帰り: Viet-Wah Supermarket の横から7番か14番のバスでダウンタウンに出ます。
ポイント パイオニア・スクエアとセーフコ・フィールドの中間に位置するインターナショナル・ディストリクト(International District)は、通称 『Chinatown』 としてシアトル市民に親しまれているエリアです。日本の食材が豊富な宇和島屋ビレッジや紀伊国屋書店などをはじめとする日系の店、赤や金色がまぶしい中国系の店、そして少し歩いたところにはベトナム系の店など、さまざまな国の要素が混在するこの不思議なエリアは、他のどの場所ともまた違った魅力を持っています。

通称は 『Chinatown』ですが、この地に暮らしてきた外国人が、本当にいろいろな国にルーツを持っているということをあらわすため、正式名称は 『International District』 です。この地に初めて根を下ろしたのは中国人で、1860年代のことでした。その後大きな日本人コミュニティの出現、それに続くフィリピン、ベトナム・・・。彼らの足跡をたどりつつ、このエリアを歩いてみましょう。

■ ユニオン・ステーションから出発

 
@ Union Station ユニオン・ステーション

目の前に見える赤レンガの大きな建物がユニオン・ステーション(Union Station)です。1911年に建てられてから1971年まで駅として使われていましたが、現在はここを走る列車はありません。シアトル市はここをオフィス街にしようと考えているようで、背後に見えるガラス張りのモダンな建物は新しいオフィスビルです。
Union Station

 
A King Street Station キング・ストリート・ステーション

右手に見える時計台の建物はキング・ストリート・ステーション(King Street Station)です。現在はアムトラック(全米鉄道旅客輸送公社)の車庫になっていますが、1906年に Great Northern Railway のために建てられた駅です。この時計台、実はイタリア・ベニスのサンマルコ広場にある鐘楼の複製。1914年、振り返ると見える白くとがった42階建てのスミスタワーに追い抜かされるまでは、この時計台が街で一番背の高い建物でした(今はどちらも背が低い建物と言えるかもしれません)。

この駅にはトンネルがつながっているのですが、そのトンネルがVirginia Street から Washington Street までというものなので「世界で一番長いトンネルだ」というジョークが昔あったそうです。それは冗談としても、確かにこのトンネルは長く、5,000フィート(=1.5km)以上もあります。これは市がウォーターフロントに線路を作るのを拒んだからだそう。
King Street Station

 
B Uwajimaya Village 宇和島屋ビレッジ

ユニオン・ステーションを右手に見ながら、South Jackson Street を歩き、6th Avenue で右に曲がって進みます。右手にある、日本や中国のものをおいている大きな骨董屋、なんだか不思議な大きい平屋の建物があります。ここは以前の宇和島屋があった建物で、そこからもう1ブロック先に紀伊国屋書店が見えてきます。そこをぐるっと右に回ると、宇和島屋ビレッジの入り口。日本食が恋しくなった方は、ここで日本の食材を調達してください。店内のフードコートにあるパン屋では、カレーパンなどが美味しいですよ。宇和島屋の上はコンドミニアムになっていますが、流石に家賃はなかなかお高いそうです。
宇和島屋ビレッジ

C Hing Hay Park ヒン・ヘイ・パーク

6th Avenue を戻り、South King Street で右に曲がり1ブロック進むと、小さな広場に出ます。ここはヒン・ヘイ・パーク(Hing Hay Park)という公園で、装飾などは台北から1975年に寄贈されたもの。旧正月や毎年7月に開かれる夏祭りでは、この広場を中心にとても賑わいます。

隣のブッシュ・ホテル(Bush Hotel)の裏側の壁には、ドラゴンの絵が描かれています。同ホテルは列車の乗客に宿泊所を提供するため1915年にオープンし、当初はこの地域で一番のホテルでした。古くなった現在は、低所得者のための住居や社会福祉団体のオフィスとして貸し出されています。

 
D Chong Wa Benevolent Association Building 
チョン・ワ・ビル

Maynard Avenue South を1ブロック進み、左折して South Weller Street を1ブロック進みます。7th Avenue との角には安いタピオカ・ドリンクのお店などもありますので休憩にどうぞ。アメリカのタピオカ・ドリンクは台湾のものに比べて少し甘い気がします。7th Avenue を左に折れてすぐ右を見上げると、Chong Wa Benevolent Association Building が目に入ります。この地域でも数少ない、アジア式の建物の1つ。20世紀始めには、アメリカの政府機関を信用していなかった中国からの移民たちが、新しく移民に来た人の補助やコミュニティの動きを監督するために作った団体がいくつかありました。チョン・ワ(Chong Wa)はその1つで、中国政府からもシアトルの中国人の公式な監督機構として認められていたそうです。

その隣にある赤い派手なレストランは、China Gate Restaurant と言い、元々は1924年に中国のオペラハウスとして建てられました。その後、ジャズで有名なナイトクラブとなり、現在は日曜日のビュッフェ、また夜でも点心を出すバーとして有名です。

7thの左側には、Gee How Oak Tin Family Association という建物があります。このような Family Association がチャイナタウンにはいくつかあり、会員は共通の苗字を使います。ちなみにこれはワシントン州で最も大きい Family Association です。
 
Chong Wa Benevolent Association Building

Gee How Oak Tin Family Association

 
E Yick Fung Company イック・ファン・カンパニー

South King Street で右に折れ、半ブロックほど歩きます。右手にあるのがこの地域で最も古い建物、Yick Fung Company(705 South King Street)です。乾物やこまごまとしたものを売っている小さな店で、以前はホテルだったり旅行代理店だったことも。1913年に、当時比較的低価格で人気があった中国〜シアトル間の汽船を運航している会社を経営していたマー・フック・ヒン氏(Mar Fook Hing)が開店しました。一時は店の中が船を待つ人々のための簡易ベッドだらけだったこともあるそうです。現在この店は同氏の息子が経営者。今は汽船のチケットは売っていませんが、窓に書かれている金色の文字は今でも汽船の広告です。

道の左側にある、垢じみた建物は Bing Kung Association というかつての秘密結社の拠点。インターナショナル・ディストリクトの汚点とも言うべき過去ですが、ビジネス団体を装って、賭博や売春の元締めをするこういった秘密結社がかつてはいくつか存在していました。20世紀前半に互いに元締め争いをして数は少なくなり、現在 Bing Kung Association は年配の中国系アメリカ人の集会所になっています。

 
Yick Fung Company

 
F Milwawkee Hotel ミルウォーキー・ホテル

7th Avenue に歩みを戻しましょう。道路を渡って右側に、ミルウォーキー・ホテル(Milwaukee Hotel)があります。あまりきれいとは言えない看板ですが、このホテルはここ近辺で初めてアジア人によって1911年ごろに建てられました。当時シアトルのチャイナタウンは、もっとパイオニア・スクエアに近い場所にありましたが、同ホテルの完成を機にこの付近にアジア人がたくさん集まるようになり、1920年代にはシアトルのほとんどのアジア系移民がここに住むようになりました。ただ、チャイナタウンがどの地にあろうと、彼らは偏見や差別をうけ、白人よりきつい労働に低賃金、といった苦しい生活を強いられていたそうです。ワシントン州がはじめて中国系アメリカ人の議員を選出したのは1996年のことでした。

 
G Wing Luke Asian Museum ウィン・ルーク・アジアン・ミュージアム

7th Avenue を右に曲がり、そのまま South Main Street まで歩きます。途中、South Jackson Street の手前で左に見えるカラフルな黄色い壁、これはウィン・ルーク・アジアン・ミュージアム(Wing Luke Asian Museum)で、インターナショナル・ディストリクトの歴史をたどることのできる博物館です。この博物館の名前は、1960年代にアメリカ太平洋岸北西地区ではじめて議員として選出されたアジア系アメリカ人に敬意を表してつけられました。

ちなみにこの博物館の左隣2件目にあるベトナム料理のヌードル、フォーの店は、なかなか安くて美味しいのでお勧めです!
 

 
H Denny Woo International District Community Garden
デニー・ウー公園

そのまま South Jackson Street を横切り、まっすぐ 7th Avenue を進みます。Jackson Street を渡った後はすこしきつい坂になっていますが、がんばってください!坂の手前、交差点の左角にある食料品店は果物がとても安く、中国やアジア系の食料品をいろいろ揃えています。フルーツの王様と言われるドリアンなどもありますので、興味があれば覗いてみてください。

坂を上りきってすこし左にいくと、家庭菜園のような小さな緑の土地に、木を組んだ入り口が現れます。ここは Denny Woo International District Community Garden と言い、収入の少ないお年寄りが約90ある区画を無料で借りて野菜を育てているコミュニティ・ガーデンです。階段(メッセージが彫ってあるので何が書いてあるかぜひ見てみてください)を上っていくと、Kobe Terrace Park に出ます。もう45年以上もシアトルと姉妹都市である神戸市が寄贈した灯篭がそこにはひっそりとたたずんでいます。
灯篭

 
I Nippon Kan Theatre ニッポン・カン・シアター

灯篭の左の出口から出て、すこし坂を下ると右手に 『NIPPON KAN THEATRE』 と書かれたレンガ造りの建物があります。ここはかつて Main Street の 4th〜7th Avenue を中心に日本町が存在した1909年から第2次世界大戦勃発までによく使われた日本人の集会所でした。高台にあり、とても眺めが良い場所です。

 
ニッポン・カン・シアター
もともと日本からの移民はシアトルでは最も成功したアジア人でした。1940年ごろ、日本人の人口は当時シアトルの2%に過ぎなかったにもかかわらず、シアトル内の住居やホテルなどの63%、レストランの45%、食料品店の17%は日本からの移民が経営していたのです。もちろん、インターナショナル・ディストリクトの小売り業も、日本人が独占していました。ところが1941年の12月、日本軍による真珠湾攻撃によって全てが劇的に変化しました。1300人のシアトル在住日本人達は米国政府への忠誠を示すため寺に集まりました。しかし、ワシントンでは、FBIが日本人の不実に関する報告書を出していたのです。1942年春には、フランクリン・ルーズベルト大統領が西海岸のすべての日本人を内陸の強制収容所に送ることに決め、日本人達は1週間以内にそれまでのビジネスをすべて売り払い、内陸に移らねばなりませんでした。国中から11万人にも及ぶ日本人が集められ、彼らは元の生活に戻るため、軍のために必死で働きました。当時の軍司令官チャールズ・ウィロビー氏(Charles Willoughby)が、「彼らのおかげで何百万人という命が救われ、戦争の終結は2年早まった」と言っていたほどです。しかし、戦争終結後、元の地に帰ることができた日本人を待っていたのは、ひどい差別と嫌がらせでした。住むところを見つけられない日本人の家族らは、Weller Street のビルの一室で、天井からつるした毛布を間仕切りにして住むという、強制収容所と変わらない質の暮らしを強いられたそうです。その後、政府のアジア系移民に対する保護も厚くなり、1952年には日本人も帰化の権利を与えられました。現在ではさまざまな場所に日本人が住み、比較的治安が良いため、学生の留学先としても非常に人気のあるシアトル。しかし数十年前の戦争のころには、やはりこのような複雑な過去があったのです。

 
Main Street あたりはやはり昔の日本街の中心部だっただけあり、現在もすし屋など日本料理屋が多い区画です。ニッポン・カン・シアターからは 6th Avenue を下って降りますが、途中 Main Street を左にすこし入ったところにあるパナマ・ホテル・カフェ(Panama Hotel Cafe)は、木でできた落ち着いた店内がとても居心地の良い場所です。散策に疲れた方はこちらで少しご休憩ください。

 
パナマ・ホテル・カフェ

 
J Viet-Wah Supermarket 越南総合市場

6th Avenue を下って South Jackson Street に出たら、左に折れてJackson Street をひたすらまっすぐ進みます。高速道路の高架下をくぐり、なおもまっすぐ行くと、そこは通称 『Little Saigon』。読めそうで読めないベトナム語のアルファベットがエキゾチックなベトナム人街です。

左手にある大きなスーパーマーケットが Viet-Wah Supermarket です。店内は雑然としていますが、生魚や肉、果物、野菜をはじめアジア諸国の調味料や食料品がずらーっと並んでいます。かなりの品揃え!デリではなかなかシアトルではお目にかかれないお惣菜が食べられます。アジアの屋台が懐かしい方はぜひトライしてみてください。
Viet-Wah


ぐるっと周りを散策したら、Viet-Wah Supermarket の横からバスに乗って帰りましょう。

※インターナショナル・ディストリクト周辺は、それほど人通りの多くない地域です。天気の悪い日や夕方以降などに1人で行く場合は気をつけてください。店は大体夕方5時か6時には閉まってしまいます。
 

   
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Last modified: 10/10/08